阪南市・首斬り地蔵

先の「堺泉州の隠れた名所99」に従って、阪南市の「首斬り地蔵」へ行って来ました。おそらく、本の紹介がなかったら、まず行くことはなかったところでしょう。


お地蔵さんにしては、けっこう大きなつくりで、前には椅子が並べられていて、地元の人が、大切に祀っておられる様子がうかがえました。

説明板によれば、1585年の豊臣秀吉紀州攻めのときに、それに抵抗した波有手村の道弘寺の僧たちの首が斬られて放置されていたのを、村人たちが手厚く葬ったとのことでした。

その前に織田信長が攻めてきたときには信長街道ができたというし、この時期の泉南地方から和歌山にかけては、中世から近世に移り変わって行く激動の時代だったのでしょう。根来寺本願寺の影響など、なまじっかしっかりした文化の伝統があっただけに、新興勢力の織豊政権との妥協も難しかったのかも知れません。いずれにしても、このような道端のお地蔵さんが、日本の中央の政治の動きと関連があったことに、泉南の歴史の重みを感じます。

このような過去の泉南にあった時代の変わり目を、今の時代に重ね合わせたい気がします。関空のバブルがはじけて、なにかしっくりしていない泉南地方なのですが、そんな困難も乗り越えて、先人が進んで来たように、過去の伝統を引き継ぎつつ、新たな発展をして行くことを、影ながら応援しています。

ひょんなきっかけから、阪南を頻繁に訪れるようになって、5年余りが経ちました。たぶん、このご縁も来年の4月までとなりそうです。首斬り地蔵をきっかけに阪南の文化財などを調べてみると、まだまだ見ていないものがあるようです。残された期間に、できるだけ多くのものを見たいと思っています。