自然居士の大イチョウ

連休の前半の29日に、阪南市にある「自然居士の大イチョウ」を見て来ました。以前から横の道を通るたびに、その姿に気になっていました。ちょうど、となりの民家?をとり壊しているようでしたが、工事も休みのようで、そこに車を停めて、ゆっくり見させてもらいました。前に書いた「堺泉州の隠れた名所99」 にも触れられていますが、大イチョウを眺めながら、歴史に思いをめぐらせました。

実は、こんな文章を書いてはいますが、「自然居士」についてはまったく知りませんでした。インターネットで検索すると、観阿弥作の能の一曲であることがわかります。能や謡曲についても、これまたなにも知らなかったのですが、インターネットのおかげでおおまかな話の筋は知ることができました。人買いに自らを売ってまで両親の供養を願う少女と、最終日の説法を投げ出してまでも少女を救おうとする自然居士、それに人買いとのやりとりなど、いかにも能の場面を見たような気になってしまいました。

自然居士の大イチョウの説明板には、イチョウの樹齢は約450年とありました。ちょうど戦国時代に植えられたということでしょうか。時代の前後関係を考えると、自然居士は13世紀おわりから14世紀はじめにかけて実在した人物ということで、観阿弥は1333-1384年に生きたそうです。そして、自然居士は阪南市の自然田の出身であり、イチョウは自然居士の住家のところに植えられているそうです。このあたりの伝承の真偽はさておき、時代とともに、イチョウと自然居士が結びついて来たことになります。おそらく、これまでに何万人もの人が、あのイチョウを眺めつつ自然居士のことを思い浮かべたことでしょう。

イチョウの生えている周辺は特別な場所だったのか、祠があり、古い石仏などもありました。私が見たときには、地元のおばさんが帰られた直後であり、線香が手向けられていました。

大きな木や古い木に神々しさを感じるのは、日本の文化なのでしょうか。あのイチョウは、大阪府の天然記念物に指定されているようですが、いつまでも残ることを願っています。後世の人も、あれこれ思いをめぐらせることができますように。

また、能というもの、学校の教科で学ぶと、堅苦しいものに思ってしまいますが、自分が目にしたイチョウをきっかけにして、機会があればぜひ見てみたいものだと思いました。