松尾のアコウ

前に「巨木・名木の博物誌 - ebikusuの博物誌」という記事を書いてから、名木というカテゴリーについて書いていなかったが、ちょうど先の四国旅行で、この木に出会った。

この松尾のアコウのことも、事前にはなにも知らなかったのだが、足摺岬から戻るときに、足摺スカイラインを通らないで、下の道を通っていて、道路標識によって気がついた。

アコウの木自体は、私の住んでいる地方にもところどころで見ることがあり、いかにも南の木のような雰囲気があって、わりと好きな種類でもある。ここのものが、どのようなものか見てみたい気になった。

松尾天満宮の森の中にあって、少し薄暗かったために、あまりいい写真は撮れなかったのだが、気根が垂れ下がったりもとの木を覆っている姿は、なかなか神々しいものだった。樹齢は300年ということである。国の天然記念物に指定されたのは、1921年(大正10年)ということであるから、その当時から既に特別な木として認識されていたことになる。

今は四国の最果ての場所のように思われるが、当時のこの地は、カツオ漁や海上交通の要衝として、重要な場所であったらしい。松尾天満宮の拝殿(1897年=明治30年建築)は、廻り舞台となっていて、ものすごく立派なものであるし、すぐ近くには、国指定の文化財である吉福家住宅(1901年=明治34年)もある。ついでに、足摺岬灯台が点灯されたのは、1914(大正3)年ということらしい。この時代のこの地方の活気が、おぼろげながらも思い浮かぶようだ。


小学校のときの社会科で、高知県の南西部に国鉄が通っていない市がいくつかあったことが、記憶に残っている。特に鉄道マニアでもなかったが、その後に、中村線が延長されたり、予土線が開通したことも覚えている。今は宿毛まで鉄道は延長されたようだから、土佐清水市だけが、取り残されたことになる。おそらく、今の時代は、高速道路が延長されることを待望していることだろう。

この 100年あまりの期間は、この地方にとっても激動の時代だったのだろう。松尾神社の前は、ちょうど遍路道になっているようだ。この木の樹齢が 300年、遍路の歴史はさらに古いものだろう。この木を見た人はどのくらいの人数になるのだろうか? 100万人を越えるだろうか。たまたま通りすがりに見学することになった松尾のアコウであるが、この木の歴史を通して、この地方の歴史を改めて考えさせてもらうことになった。