太陽光発電装置を設置する意義2:人生との関わり(車との対比)

前回、太陽光発電の環境に対するメリットを一生懸命考えたのだが、あまり目ぼしいものは思い浮かばなかった。そのときに、車を購入することとの対比を、少し考えた。

ちょうど、我が家の太陽電池は、車を購入するのと同じような出費だった。実際には、私の場合には、今乗っている車より高かったのだが、高級車に乗る場合には、車のほうが高いことになって、人によって多少の差はあるのだろうが、いずれにしても、数百万単位の買い物になるだろう。それに、どちらも10年くらいの単位で計算をして、10年後にどのような生活をしているか考えるのではないか。ところが、お金の収支については、まったくの正反対になる。

そこに関わる経費として、車の場合には税金を徴収されるのに対して、太陽電池の場合には補助金までくれる。その違いは、他人に対して迷惑をかけるかどうかだろう。車の環境に対する悪影響は、数え上げればきりがない。それでも、税金を払ってでも車を持ちたくなるのは、持つ人にそれなりのメリットがあるからだろう。たしかに、車を持つかどうかで、生活様式は一変する(良いか悪いかは別にして)。

ところが、太陽光発電を設置したからといって、生活はほとんど変わらない。せいぜいが発電の多少を気にするぐらいのものである。発電のモニターをチェックするにしても、最初の一年くらいは季節変化など気になるだろうが、すぐに飽きてしまう。結構な金額を使うにしては、なんとも生活に影響しないものである。

車の場合には、車種によって性能に差があって、どういう目的で使うかで、どのような車種を買うのか、あれこれ考える。ところが太陽電池の場合には、目的は発電だけである。発電効率に多少の差があったとしても、その分値段が高くなるのだろうから、結局設置費用を回収するのは、同じということになる。それに、発電効率は、立地条件(一日及び年間の日照時間)で決まることの方が大きい。要は、設置費用が何年で回収できるかだと考えれば、性能よりも値段がすべてということになる。

車は、使えば使うほど、価値が下がってくる。最後は下取りに出すとしても、使った分だけ価値が減っている。ところが、太陽電池は、耐用年数はあるようだが、元をとったうえで、さらにその後は発電分が丸儲けになることを想定している。

そんなことを考えると、太陽光発電で、補助金までくれるのが、不思議になってくる。誰のメリットのために、公的なお金が払われるかである。おそらく、環境に対するメリットに、太陽光発電の普及を加速させるメリットということだろうか。

車でエコカー減税というのがある。たしか私の車もそれに該当したと思うが、車が社会や環境などのいろいろな面で迷惑をかけることからすれば、排ガスが少しくらい減ったというだけで、何万円もの金額を免税にするのはおかしいと思う。しかも、そのことで車の売れ行きにも影響するのだから、自動車産業に対する補助金をばらまいているのではと疑いたくなってくる。

何年か前に、エコポイントというものがあった。我が家でも、冷房機能しかなかった“エアコン”を新しいものに換えたが、エコポイントバブルで、その後一気に値崩れしたことからすると、エコポイントのおかげで、値段が高止まりしていたのだった。

ちょうど同じことが、太陽光発電設備にも言えるのだろう。補助金の額と売電料金の上乗せ分から、何年ぐらいで元が取れるかで、値段が決まってくる。概算では10年前後で、元が取れるという値段設定になっているらしい。この10年前後ということで、プラスマイナスの数年が、大きな不公平となることは、前に触れた。


いずれにしても、値段の計算がすべてである。補助金や売電料金の上乗せなしでは売れないのだから、太陽電池のメーカーは、商品としては成り立たないものを売っているようなものだろう。もちろん、耐久性などの点で、メーカーによって差がでるのかも知れないが、多くの場合に長期保証も付いているようだ。そうすると、やはりすべてが値段の計算となってくる。

この点で、ハイブリッドカーが燃費の良さで売れていることと対照的なようだ。こちらもエコカー減税などの計算が働いているのかも知れないが、少なくとも、太陽電池にはそのような性能上のメリットがほとんどない。太陽電池に求められる改良は、とにかく値段を安くすることだろう。


我が家では、太陽光発電の設置工事を、友人のリフォーム会社に依頼した。そこでも、太陽光発電で儲かっているようには思えない。私が買った2012年には販売のチャンスということで、社員が工事の資格をとったりしたようだが、なにしろ設置できる家と、費用を負担できる人が限られていて、誰もが注文するようなものではないらしい。最近では安値競争になっているだろうから、一時のバブルに浮かれたということになるのではないか。


太陽光発電のことをあれこれ調べていると、〈太陽光発電〉に〈利権〉や〈政商〉などの単語の組み合わせとともに、孫正義をはじめとするいろいろな人の名前が出てくる。それだけ、太陽光発電に群がっている人がいるということらしい。私の家の太陽電池は、ダイキンという企業のものだったが、その製品を作っているのは京セラということだ。そこの経営者のことも、いろいろ書いてある。それぞれの人達の評判について、その真偽はわからないが、クリーンな太陽光発電と思っていたものが、ドロドロしたものに見えてくる。今となっては、太陽光発電を推進しようとしている人たちを見ると、逆に、その人の背後になんらかの人脈や思惑があるのではないかと思えてしまう。

このところの安倍政権の政策を見ていると、原発を推進したいがためか、自然エネルギーには冷淡なように見える。一方で、自動車産業などは、アベノミクスによる円安で、ウハウハらしい。環境のことを考えるならば、逆のことばかりをやっているように見える。

今の家に住み始めた6,7年ほど前に、太陽光発電を検討したときに、設置している人たちの体験談が、インターネットに書かれていた。環境に貢献するという自負や、高い志が掲げられていた。それは、どのような車を購入するかということと同じで、お金を支出して新たな生活を選択するということでもあったのだろう。それがいつのまにか、お金の計算だけのものになってしまったようだ。